しかし、これも単なるアホというより、さっきから言っている唯物的基礎があるわけです。アメリカによる戦後(とりわけ日本の高度経済成長後)の対日政治経済政策が、我々のフリーハンドをどんどん削り取ってきたんです。関岡英之さんが取り上げていますが、建築基準法改正によるアメリカのツーバイフォー住宅の解禁が、いい例でしょう。解禁によりアメリカ産の木材や建築部材がどんどん輸入されるようになりました。組み立て屋になり下がった日本の大工さんは収入減で失職、内装屋や門扉屋に変わっていく。尺貫法は途絶し、和風軸組建築は過去のものになります。同じ延べ床面積で和風建築を建てようとするとツーバイフォーの3割増?5割増のお金を出さないといけなくなった。
 だから全国をフィールドワークしていて気がつくことですが、90年代半ば以降の新しい集落はすべてツーバイフォーです。ただしアメリカが今でもツーバイフォー住宅を買えと強制してるわけじゃない。僕たちが乏しいお金で快適な住宅をつくろうとすると、ツーバイフォーを買ってアメリカを翼賛せざるを得ないんです。その結果、街並みも動線もずたずたになりました。俗に言う「縁側の消滅」ですね。こういうのを僕たちはアーキテクチュラル(建築家的)な権力と呼びます。相手に命令するのでなく、自由に振る舞わせた結果が都合のいいものになるようにプラットホームをつくっておくことです。