社会学の根本概念はなぜ〈意味〉でなければならないのか

社会学の根本概念は「意味」である。これはほとんど自明の前提であるように思える。だが、「なぜ自明であるように思えるのか」ということは、忘れられがちである。このことは「説明」という概念にかかわっている。説明とは、

  • [E]:Xならば/だから、Yである/であった/となるだろう

というように、2(以上の)変数を、量化子を含めたさまざまな演算子で「関係づける」ことをいう。この(「説明」についての)定義は、学一般についてあてはまる。

たとえば、[A]「物体Aを、それに接する物体Bの方向に、物体A+Bが移動するのに必要な力以上の力で押したので、物体Aと物体Bは移動した」は説明である。

「説明」に似たものに「定義」があり、しばしば混同される。[B]「30度の角の正弦は2分の1である」。これは[B']「θの角度が30度ならば、その正弦は2分の1である」と書き換えられるため、説明の形式(E)に合うように見える。だがこれは「説明」ではなく、定義である。このような単純な定義は、たとえば地点Aにあるテレビ塔の高さを求めるための出発点として利用される。このときのテレビ塔の高さは「解」とよばれ、出発点から解へと至る、妥当な論理を一般に「証明」と呼ぶが、「説明」と呼んでもさしつかえないだろう。もちろん「30度の角の正弦は2分の1である」を「解」とした、その証明が、その前段階で必要である。その場合、より単純な定義を出発点として、証明がなされる。